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大正2年埼玉県所沢で編成された気球隊が、千葉市内に移転してきてその後連隊に昇格しました。
気球連隊とは、そのまま気球を使用した各種任務を担っていたそうです。当初は、気球を上げて上空から敵の陣営などの状況偵察や砲弾の着弾地点を誘導するなどの任務が主だったようです。
しかし大きく目立つ気球は、敵の銃弾などに狙い撃ちされてしまい主だった成果は、なかったそうです。
そんな中気球連隊が注目されたのが、「ふ号作戦」つまり風船爆弾を多数製造し、これをもって米本土を攻撃がするという終戦近くの作戦だそうです。
福島県いわき市勿来付近、茨城県北茨城市大津付近、千葉県一宮町付近の合計3ヶ所から終戦までに約9000個に及の風船爆弾が放たれたそうです。
一部が米本土に到達して、山火事などを起こしたという実績があるそうです。
その気球連隊が使用していた格納庫が現在も千葉市内にあります。これが、気球連隊旧第二格納庫で、現在は川光倉庫株式会社の倉庫として使用されてます。
場所は、国道16号線そば。わかりやすいのは、千葉都市モノレールの作草部駅の東にある作草部神社の北側にある幼稚園の隣です。