1965年6月22日設立、という…
(株)本田技術研究所 自己啓発活動チーム
らしいです。
今年はシビックの50周年という事で、本田技研工業が展示してくれました。
シリンダーヘッドカバーの塗装が、赤・白・青。何を意味するのでしょう?
どなたかご教授いただけると有難いのですが。
Red Bull Racing Honda RB16B
(トルコGPスペシャルカラー)
2021年の世界選手権参戦車両。
当初は日本GPで日本のファンに感謝を伝えるために
Red BullとHondaが準備していた特別カラーリング
であったが、日本GPが中止となったために
一度は棚上げに。
しかし、日本のファンに向けて「ありがとう」を
伝えたいというRed BullとHondaの思いは
トルコGPで結実。
決勝レースではダブル表彰台を獲得するという
好走を見せました。
という説明書きでした。
五輪は良くて、四輪は駄目なの?って、ホンダが言いそうな事をトヨタが言ってくれたなんて年…
鈴鹿なら見に行けたかも、なんて思いだって無くはなく…
トルコGPって確か、10月10日。ホントだったら「体育の日」なわけで、要は…
先の先の東京オリンピックだったら開会式やった日、なはずです。1964年っていうと…
ホンダがF1に初参戦した頃、じゃないでしょうか?
令和2年12月下旬
こちら栃木県芳賀郡茂木町桧山
ホンダコレクションホール展示物の一つです。
ホンダRC174E
空冷 4サイクル 6気筒
DOHC 4バルブ ギヤ駆動 297.06cc
最高出力 65PS以上/17000rpm
マグネトー点火 7段変速
1気筒当り49.51cc。ふーん、原チャリの単気筒ね、という見方…
並列6気筒の空冷!4バルブ!!釘みたいなやつが24本も!!!驚くしかない自分。
1967年WGP出走8戦、内7勝!350ccクラスだったそうです。これってまさか、2輪技術のお化け…
1965年のF1最終戦で初優勝!を最後にお役御免となったRA272のV型12気筒横置きを半分にして…
はるかに小さな、しかも並列なら空冷でいけるぞ!って…
会った事も無いから妄想するしかないのです、本田宗一郎を。
時代とかカテゴリーとか、詳しい事は何一つ知らないのですが、かつて…
そういう競技が行われてた、ようです。
本田技研工業N360の空冷2気筒横置きをミッドシップに搭載して、後輪を駆動。そんな感じに見えました。
ホンダ1300の空冷4気筒横置きFF、RA271などの水冷V型12気筒横置きにもよく似たレイアウトに見えます。
二輪車じゃ、既に世界一だったホンダの得意技の一つ、かもしれません。やたらよく回るエンジンとか。
これは走行会とでもいうのでしょうか?そういうのを見学する機会がありまして…
本田技研工業が市販した四輪車の御先祖様、T360がとあるサーキットを爆走してました、S600とかS800なんかと一緒に。
幻のスポーツカーS360にも搭載するつもりだったという、水冷4気筒DOHC354cc30馬力をミッドシップに縦置きの後輪駆動。空荷でもまともに走れるように、ってな工夫と言われてます。
農道のポルシェこと富士重工が作ってた頃のスバルサンバーはRR。狙いは一緒でしょう、競技とかじゃなくて。
2017年もてぎスーパーフォーミュラー第4戦、小林可夢偉のほぼ優勝決まりそうなので、渋滞につかまるのもやだし、
可夢偉好きくないし、帰ろっという事で、途中で帰りました。
何と、その直後ピットでタイヤ交換ミスで、NO.15ガスリーが優勝!!
1968年シーズン。
両バンクの内側から吸気、外側に排気ってのは、普通のV型エンジンですが…
排気管が凄いです。何でも…
砂を入れて、炙って、手曲げで加工する!とか…
基本的にこういったモノには図面ってもんが無い!らしいとか…
凄いですね、職人さんって。
同行者がどうやら二輪車大好き人間だったようで、曰く…
「沢山作って、実際に取り付けて、本当に具合の良いのだけ使用した、はず。」
RA302という空冷V8マシン登場など、いろんな事があったシーズンと伝えられ…
シーズン終了後、ホンダはF1から撤退したそうです。後に第1期と呼ばれる頃…
第2期のホンダは強かったですね!エンジンだけでしたが。
1967年のシーズン途中でマシンを更新するってのも無謀!って思っちゃいます、普通に。で…
ローラに手伝ってもらって、何でもインディカーのシャーシを改造したんだとかで…
大分軽量に仕上がった、といいます。
デビュー戦のイタリア・グランプリで優勝したそうですから、相当なもんでしょう。
ドライバーのJhon surteeth も凄かった!そうです。二輪と四輪の両方で世界一って…
ローラ側の呼称LolaT130とか…
Hondolaなどという、揶揄っぽい言い方は、最近知りました。
1966年からF1のレギュレーションっていうんですか?3000cc自然吸気って事になったんだそうで…
さすがに横置きは無理だったのでしょう。普通に縦置きのV型12気筒です。
排気管の取り回しに苦労した挙句の工夫、両バンクの間から上方に排気ってな方式と理解してますが…
見れば見るほど訳わからなくなります、イカ墨スパゲティのお化けみたいな排気管。3気筒を一つにまとめてるようですが、排気行程の順番とか長さとか…
馬力べらぼー!だけど…
重量もべらぼー!で…
タイヤがもたない、などなど問題も多かったそうです。しょーがないですね…
走る実験室ですから。(でも勝ちたい)
最初期はなんと…
キャブレターを12個も並べたんだそうです!
同調できたのでしょうか?2個だって面倒くさいのに。実は…
一番見たかったのがコレなんです。が…
同行者が2輪大好き人間なもんだから…
「300cc並列6気筒に4バルブ!があったよ、あっちに。」
大変です、ついて行くの。
V型12気筒を横置きに搭載!絶対にどうかしてますが…
2輪の技術なら当時既に世界一、だからかどうか分かりませんが…
納得するしかありません。1500ccを12で割るっていうと…
125ccのシリンダーとピストン。大好きな寸法らしいです、二輪屋さんの。
シーズン途中には、燃料噴射装置に換装されたそうですが…
1964年のF1世界選手権に途中から参戦したというホンダ…
が、実戦投入したというマシンです。
プロトタイプRA270というのも、もちろんあったそうですが…
Racing Automobile の頭文字と…
270km/hを目指す!みたいな意気込み…
そこら辺を知ったのはつい最近なんです、恥ずかしながら。
11号車は、3階の4輪レースコーナー(?)みたいな所にいまして、これが…
企画展なのでしょう。特に宣伝などがあったわけでもなく…
新型コロナ騒動のせいでもあるのでしょうが…
とっても静かでした。
背後には1966年以降3000ccに拡大されたF1マシンが3台いまして…
垣間見えるだけでも、いろんな創意工夫がてんこ盛りです!
お腹一杯になれます、ホンダが参戦した、取り敢えず第1期だけでも。
令和2年7月上旬
こちら栃木県芳賀郡茂木町林?」桧山?青梅?馬門?
広大な施設「ツインリンクもてぎ」の、とある一角…
ホンダコレクションホールの玄関じゃ通常…
1965年メキシコグランプリで優勝した11号車(Paul Richard “Richie” Ginther 搭乗)が出迎えてくれるようですが…
5位入賞の12号車(Ronnie Bucknum 搭乗)がいました。
今だけ(?)の企画展みたいです。
コロナウイルスによる外出自粛の現在、自宅で過ごす機会が増えYOUTUBEを観て過ごすのも良いですが、オンラインレースに参加してみるのも良いのではないでしょうか。ゲーミングPCも必要なく、在宅パソコンで本格レースを無料で楽しみましょう。ハンドルコントローラーはカートなのでクラッチなし2ペダルのものでOK!です。始めても方も是非エントリーしてください。
こちら栃木県芳賀郡茂木町林
ホンダコレクションホールの展示物です。本田宗一カ関連の書籍には、ちょこちょこ登場する自動車です。
レースへの情熱“カーチス号”
1924 Curtiss Racer
1924年、ホンダの創業者・本田宗一カ(当時18歳)が東京の自動
車修理工場「アート商会」で働いていた時代に、経営者の榊原郁
三らの助手として製作したレーシングカー「カーチス号」。宗一カ
は実際のレースでもメカニックとして同乗した。カーチス社の飛行
機用V8エンジンを自動車用に手直しして搭載、また乾式多板クラ
ッチやギア類など多くのパーツは自製だった。
この手づくりのレーシングカーによるレース経験が、若き日の
宗一カの心に深く刻まれ、後のホンダのマン島TTレースやF1への
挑戦につながっていった。
エンジン・水冷 4サイクル 60度V型12気筒 DOHC 4バルブ ギヤ駆動 1,495cc
最高出力・230PS以上/12,000rpm
最高速度・300km/h以上
重量・498kg(overall)
サブフレーム付軽合金モノコックボディ、6段変速
そんな説明でした。
ざっくり125ccの単気筒を6個ずつ2列に並べて水冷化ってな計算になりますが…
12000rpmも回して壊れないなんて!
恐るべし、「走る実験室」。
小学校の頃って必ず何人かいたじゃないですか、不思議な分野じゃ妙に強い奴って。自動車とか鉄道とか写真とか…
F1とかフォーミュラ1とかモータースポーツなんて言葉は知らなかったけど…
レーシングカー、フォーミュラカー、葉巻型…みたいな単語を吹き込まれた記憶があります、散々。
1500cc時代最後の1965年最終戦のメキシコ・グランプリで、ホンダが初優勝した時のマシン、だそうです。
3000ccV8のコスワースなどが主流だったF1を、1500cc+過給器で引っかき回したのは1980年代。その頃はまあ大人だったので、レースは無理でしたがマシン展示を見に行ったんです、青山の1Fに。確か…
ロータスの黄色とか、マクラーレンの紅白とか、煙草屋さんがスポンサーやってた頃です。
ホンダジェットの模型だってあったんですョ、ほぼ今の姿で。
尼崎競艇場は、兵庫県尼崎市にある競艇場です。
競艇は、競輪・競馬・オートレースと並ぶ公営競技(公営ギャンブル)の1つであり、プロの選手達によって行われるモーターボート競技です。
92年鈴鹿Sカーブ!激パ!マクラーレンホンダV12 MP4-7
こんときゃまだNikon F3P+500mmF4PでのフィルムPKR64撮影
朝のフリー走行でのサービスランデブー!逆光きつかったぜ〜
先週の土日に新城ラリーが開催されました。
今年も元WRCチャンピオンのビョルン・ワルデガルド氏によるセリカツインカムターボTA64と、モンスター田嶋によるSUPER86、新井敏弘氏、片山右京氏によるデモ走行が披露されました。