地対空誘導弾「改良ホーク」
ホークは、レイセオン社(アメリカ)が開発した地対空ミサイルです。
1950年代末に開発され、現在でもNATO(北大西洋条約機構)各国で運用されています。
2015年↓の診断書にあるように「発達障害」と診断されて暮らしていたのですが医師と意見の相違があった為転院したところ、初診で診断に結びつく質問もされず成育歴に関しての聴取もなく診断名も知らされませんでしたが、恐らく「統合失調症」と誤診を受けました。
丁度同時期加湿器を過度に使用した為自室内の湿度を上げすぎて結果壁紙を複数個所剥がした、との理由から自宅退去となってしまった。
今回は、新たな住居をすぐ探させる事はできないと「大泉福祉事務所」の担当ケースワーカーに言われて新たな住居を探す為に西落合「更生施設けやき荘」に入居した。
入居の際渡されたしおりに「部屋内で携帯で話すのは禁止」とハッキリ記載があったが入居したら「部屋内」で間断なく携帯で話している「オバサン」が居たが特に他の入居者から注意を受けてはいなかった。
自分は入居したばかりだった為「集団生活なのだから致し方ない」と我慢していた。
そうしたら翌日あたりから職員を介して他の入居者から自分に対して注意が入り
「食堂に日焼け止めを塗ってきて不快」との事だったのですが(因みにこの施設の入居者は主に「精神疾患の生活保護受給者」です)
個人の自由の領域かと思うのですが我慢しました。
そうしたらまた翌日職員を介して注意があり
「食堂にハンドクリームを塗ってきて手が壁に触れた際ハンドクリームが付着して不愉快」との事で「自分の指先」を凝視していなければ分からないような注意で難癖のような気が致しましたが我慢しました。
そのように言われた為100均で購入したナイト手袋を嵌めて食堂へ行ったところ
「手袋が不衛生」と職員を介して伝えられ、又その翌日には
「袖が長い」(腕の長さは日本人の平均で既製服を着ていたのに)
更に「咳がうるさい」と職員を介して他の入居者から苦情が入った。
この時「聞いたところで改善の余地がないような類の注意であれば聞くだけ苦痛である為辞めて下さい」と職員に伝えたところヘラヘラと笑って「気にするなよ」と取り合ってくれなかった。
その結果怒ってしまい(自分が)どうも↑の経緯を読んでも分かるかと思うのですが自分の事を「面白くない」と思っていた入居者が居たようで
「馬鹿」「ブス」等の罵声まで浴びました。
その罵声に言い返したら「診断名」を元に「錯乱している」と決めつけられて「医療で警察」を呼ばれてしまいました。
後で開示したカルテによると自分が知らないところで他の入居者から
「食器に日焼け止めを垂らした」と告げ口が職員に伝えられていて食器は片づけてしまう為恐らく確認も取らず自分に対して「やったか、やらなかったか」聞きさえせず(それに関しては「入居時見た、診断名」を元に「まともに説明できない人物」と決めつけられたようです)数日居ただけの施設である為「自分に関しての情報」は「診断名」とこの「告げ口されたエピソード」しかなかったようで、職員が警察に伝えたようです。
警察署でこの事(やってもいない、「食器に日焼け止めを垂らした」)
に関して怒鳴られて「しどろもどろ」になってしまったのを(5分の精神鑑定で)「話のまとまりがない」として誤診を受けました。
「新たな住居を探す為」に居たのにも関わらずこのような経緯で「希望物件」にすら入れなかった。
その後令和元年「都内の某メンタルクリニック」で「あの時は怒っただけ」と説明したところ過去のカルテ全ての内容を考慮した結果恐らく事実であろうとの事で診断名が元の(2015年以前の)「発達障害」に戻りました。
しかしこの事が心の傷となり原疾患に「ひきこもり」がなかったのに4年もひきこもり生活を余儀なくされてしまった。
その間何度か「更生施設けやき荘」に電話を入れたがまともに取り合ってもらえなかった。
許しがたい思いで「DPI日本会議」という障害者差別の解消を謡う団体をインターネットでみつけて連絡したところ「更生施設けやき荘」に電話してくれました。
その段階で既に「トラブル発生」から6年も経過していました。
「DPI日本会議の一室」で更生施設けやき荘職員と母体となっている社会福祉法人 特別区社会福祉事業団の職員と対面しましたが、トラブル発生当時「更生施設けやき荘」に勤務していなかった初対面の職員で「トラブル発生時居合わせた職員と話もした事がない」と説明されて(つまり何も知らないというような状況)憶測でこちらの名誉を傷つけるような事を言われて継続して話し合っても無駄、という事で(自分がそのように判断しました)
「DPI日本会議」とはそれっきりです、その後は「インターネットの掲示板」に更生施設けやき荘の事を書き込み(許しがたかったため)結局その事で今度は「警察に通報」されてしまった(書き込みが)
一応通報された警察署で「社会福祉法人 特別区社会福祉事業団の職員と話し合い」という事になりましたが「既に謝罪済みである」と嘘をつかれました。
現在直近三年都内の就労移行支援事業所に通所し、「国立リハビリテーションセンター」(障害者の職業訓練校)入校申請が済んだところです。
しかしこの「2016年」に発生したトラブルの事が頭から離れず一日中苦痛な思いをしていて、「尊厳を傷つけられた」為「就職活動」一切を辞めようかと考えている矢先です。
耐えがたい、許しがたい思いです。
〒161-0031西落合1-18-18更生施設けやき荘 社会福祉法人 特別区社会福祉事業団
「更生施設けやき荘 概要最新版」↓
https://dfghgghjkkjjhjkljhjk.livedoor.blog/archives/17172514.html#more
社会福祉法人 特別区社会福祉事業団のホームページのURLは↓
https://tswa-swc.or.jp/
社会福祉法人 特別区社会福祉事業団メールアドレス↓
tswa-swc@beach.ocn.ne.jp
「更生施設けやき荘で受けた酷い扱い」に関してのブログ↓
https://hjglaz224444.livedoor.blog/
西落合更生施設けやき荘の電話番号03-3953-8551
社会福祉法人 特別区社会福祉事業団電話番号03-6666-1046
こちら山梨県南都留郡鳴沢村富士桜高原内
河口湖自動車博物館・飛行舘です
今年は晴れました。時間的には順光でもあります。
8月はココ、って決めといた方が良い、かも知れません。
こちら東京都千代田区九段北
靖国神社の遊就館です。
もちろん航空関係の博物館なんかじゃなく、いろいろと考えさせられる所の一つです。
玄関ホールなら以前から写真撮影も許されてたので、割と有名なアングルかも知れません。
零式艦上戦闘機五二型
河口湖自動車博物館・飛行舘の方々の手による復元、だそうです。
こちら千葉県山武郡芝山町岩山
公益財団法人「航空科学博物館」の屋外展示です。
たくさん展示されてますが、尾頭付きで一番大きいのがコレ、YS−11です。
ここのは、試作1号機という事です。
敗戦後、何年間も翼をもがれてた飛行機屋さん達の、これは嬉しい大仕事だった、んじゃないでしょうか?
新幹線とか、いろんな自動車とかも凄いけど。
こちら山梨県南都留郡鳴沢村富士桜高原内
河口湖自動車博物館・飛行舘です
ここにも展示されてます、C46。飛行機って、何だかんだで巨体。
どっかで分解して、ここまで搬入。位置を決めて、組み立てて…
朽ち果てないよう、お手入れだって大変なはず。
毎年8月しか見学できない、くらい我慢しなきゃ、かも知れませんね。
こちら埼玉県所沢市並木
西武鉄道新宿線じゃ新参者、「航空公園」駅の真ん前には…
YS11が鎮座してます。こんなでっかい機体を展示してる鉄道駅なんて、そうそう無いんじゃないでしょうか?
ラストフライトで入間基地に着陸。そこで分解して、ここまで運び…
再び組み立てられて現在に至る、みたいな話だったような気がします。
日本で最初に開設された飛行場、だったそうです、この界隈。
こちら埼玉県所沢市並木
その名も「航空記念公園」の一角には…
「カーチスC46輸送機」が展示されてます。そこそこでっかい機体で…
尾輪式なんてのを観察できるんです。
> 2011/03/11 仙台空港にて津波被災 JA8801船舶技術研究所 所有機でした、
>
> 千葉県芝山町「空の駅 風和里しばやま」に展示されています、通称「空の駅」と言ってますが看板は「道の駅」です
>
令和3年1月下旬
こちら千葉県山武郡芝山町岩山
ビーチB99実験用航空機
みたいな解説ならありました。
2014年夏頃、迷い込んだココで見たような気がするのですが…
被災の解説らしきものは、無くなってました。
仙台空港の悲劇、だけじゃないけど、間もなく10年です。
令和2年4月下旬
こちら茨城県小美玉市与沢
薄暗くなる前に余裕を持って到着すれば、ゆっくりと観察する事ができます。
手前はF−4EJ要撃戦闘機…
奥はRF−4EJ戦術偵察機…
そんな説明書きもありまして、親切です。
RF−4は全機退役。F−4はまだ飛んでましたが、ぼちぼち引退なんだそうで…
どこからかF−2が越して来ました。
こちら静岡県浜松市西区白洲町
やたら広大な浜名湖って、形状も複雑なんです。で…
知らない景色だらけを楽しもうとしてたんです。
本当に知らなかったんです、双発で尾輪式の旅客機がいるなんて。これ…
写真等でなら見た事もある、DC−3でしょう。何で、ココに?
悔しいので調べてみたら、結構有名な存在らしく…
「飛べ!ダコタ」という映画の撮影に使われた機体だった、そうです。
令和元年。素敵な出っくわしです。
皆様、ご無沙汰しております。
今年に入ってから、東南アジアの用廃機を訪問する際の
お助けガイド(?)となるような情報をまとめたBlogを作
ろうとしています。
100ヶ所以上の情報を掲載するつもりですが、書く速さは
全く追いつきません。6月末頃までにはそれなりの体裁を
整えるつもりでいます。
いわばβ版のサイトですが、春休みも近づいたことから
客引きを兼ねてご紹介いたします。
皆様のご旅行の際の一助になれば幸いです。
https://wrecks.hatenablog.com/
こちら東京都新宿区四谷
東京消防庁の四谷消防署には、「消防博物館」が併設されてるんだそうで…
いずれ見学しなきゃ、などと思い出すんです、いつも通りかかるたんびに。
初代「かもめ」 JA9071
アエロスパシアル(仏)社 SA316B(アルウェットV)
運航期間:昭和47年3月〜昭和63年7月
運航時間:4957時間50分
…だそうです。
こちら茨城県小美玉市与沢
いわゆる茨城空港の一角です。
普通、こっちには用事なんか無いのですが、気の迷いからか寄り道したら…
いたんです!
ゲートガーディアンというよりは、展示物って雰囲気だったので…
もっと明るい時に訪れて、じっくり観察すべきだったかな…負け惜しみですが。
マクダネル・ダグラス・ファントムU艦上戦闘機とかいう米海軍仕様のプラモデル組み立てたりしてた頃は、わけもわからないヒコー少年でしたが…
ヒコーに走った挙げ句、ここら辺にまで出没…
変わっちゃいないようです。
子どもの頃、ちょいちょい見かけたT−33練習機だから、'90年代の入間航空祭の飛行展示だって「懐かしい!」って存在でした。
1999年に飛行停止。そのまんま2000年に退役になったはずで、余所に出掛けたっきり入間に帰って来られなくなった機体もあったそうです。でも…
入間基地にはまだいたんです、2008年には。
今年、入間航空祭で気になったのは、この機体。
野晒しっぽくて、エンジンもレドームも付いてなくて…
部品取りでしょうか?
大好きなC−1も徐々に退役を迎えつつあるみたいですね。
後継のC−2って、さらに大型と聞いてますが、入間デビューしたら…
見せてくれるのかな?例えばコンバットピッチみたいな機動。