2015年↓の診断書にあるように「発達障害」と診断されて暮らしていたのですが医師と意見の相違があった為転院したところ、初診で診断に結びつく質問もされず成育歴に関しての聴取もなく診断名も知らされませんでしたが、恐らく「統合失調症」と誤診を受けました。
丁度同時期加湿器を過度に使用した為自室内の湿度を上げすぎて結果壁紙を複数個所剥がした、との理由から自宅退去となってしまった。
今回は、新たな住居をすぐ探させる事はできないと「大泉福祉事務所」の担当ケースワーカーに言われて新たな住居を探す為に西落合「更生施設けやき荘」に入居した。
入居の際渡されたしおりに「部屋内で携帯で話すのは禁止」とハッキリ記載があったが入居したら「部屋内」で間断なく携帯で話している「オバサン」が居たが特に他の入居者から注意を受けてはいなかった。
自分は入居したばかりだった為「集団生活なのだから致し方ない」と我慢していた。
そうしたら翌日あたりから職員を介して他の入居者から自分に対して注意が入り
「食堂に日焼け止めを塗ってきて不快」との事だったのですが(因みにこの施設の入居者は主に「精神疾患の生活保護受給者」です)
個人の自由の領域かと思うのですが我慢しました。
そうしたらまた翌日職員を介して注意があり
「食堂にハンドクリームを塗ってきて手が壁に触れた際ハンドクリームが付着して不愉快」との事で「自分の指先」を凝視していなければ分からないような注意で難癖のような気が致しましたが我慢しました。
そのように言われた為100均で購入したナイト手袋を嵌めて食堂へ行ったところ
「手袋が不衛生」と職員を介して伝えられ、又その翌日には
「袖が長い」(腕の長さは日本人の平均で既製服を着ていたのに)
更に「咳がうるさい」と職員を介して他の入居者から苦情が入った。
この時「聞いたところで改善の余地がないような類の注意であれば聞くだけ苦痛である為辞めて下さい」と職員に伝えたところヘラヘラと笑って「気にするなよ」と取り合ってくれなかった。
その結果怒ってしまい(自分が)どうも↑の経緯を読んでも分かるかと思うのですが自分の事を「面白くない」と思っていた入居者が居たようで
「馬鹿」「ブス」等の罵声まで浴びました。
その罵声に言い返したら「診断名」を元に「錯乱している」と決めつけられて「医療で警察」を呼ばれてしまいました。
後で開示したカルテによると自分が知らないところで他の入居者から
「食器に日焼け止めを垂らした」と告げ口が職員に伝えられていて食器は片づけてしまう為恐らく確認も取らず自分に対して「やったか、やらなかったか」聞きさえせず(それに関しては「入居時見た、診断名」を元に「まともに説明できない人物」と決めつけられたようです)数日居ただけの施設である為「自分に関しての情報」は「診断名」とこの「告げ口されたエピソード」しかなかったようで、職員が警察に伝えたようです。
警察署でこの事(やってもいない、「食器に日焼け止めを垂らした」)
に関して怒鳴られて「しどろもどろ」になってしまったのを(5分の精神鑑定で)「話のまとまりがない」として誤診を受けました。
「新たな住居を探す為」に居たのにも関わらずこのような経緯で「希望物件」にすら入れなかった。
その後令和元年「都内の某メンタルクリニック」で「あの時は怒っただけ」と説明したところ過去のカルテ全ての内容を考慮した結果恐らく事実であろうとの事で診断名が元の(2015年以前の)「発達障害」に戻りました。
しかしこの事が心の傷となり原疾患に「ひきこもり」がなかったのに4年もひきこもり生活を余儀なくされてしまった。
その間何度か「更生施設けやき荘」に電話を入れたがまともに取り合ってもらえなかった。
許しがたい思いで「DPI日本会議」という障害者差別の解消を謡う団体をインターネットでみつけて連絡したところ「更生施設けやき荘」に電話してくれました。
その段階で既に「トラブル発生」から6年も経過していました。
「DPI日本会議の一室」で更生施設けやき荘職員と母体となっている社会福祉法人 特別区社会福祉事業団の職員と対面しましたが、トラブル発生当時「更生施設けやき荘」に勤務していなかった初対面の職員で「トラブル発生時居合わせた職員と話もした事がない」と説明されて(つまり何も知らないというような状況)憶測でこちらの名誉を傷つけるような事を言われて継続して話し合っても無駄、という事で(自分がそのように判断しました)
「DPI日本会議」とはそれっきりです、その後は「インターネットの掲示板」に更生施設けやき荘の事を書き込み(許しがたかったため)結局その事で今度は「警察に通報」されてしまった(書き込みが)
一応通報された警察署で「社会福祉法人 特別区社会福祉事業団の職員と話し合い」という事になりましたが「既に謝罪済みである」と嘘をつかれました。
現在直近三年都内の就労移行支援事業所に通所し、「国立リハビリテーションセンター」(障害者の職業訓練校)入校申請が済んだところです。
しかしこの「2016年」に発生したトラブルの事が頭から離れず一日中苦痛な思いをしていて、「尊厳を傷つけられた」為「就職活動」一切を辞めようかと考えている矢先です。
耐えがたい、許しがたい思いです。
〒161-0031西落合1-18-18更生施設けやき荘 社会福祉法人 特別区社会福祉事業団
「更生施設けやき荘 概要最新版」↓
https://dfghgghjkkjjhjkljhjk.livedoor.blog/archives/17172514.html#more
社会福祉法人 特別区社会福祉事業団のホームページのURLは↓
https://tswa-swc.or.jp/
社会福祉法人 特別区社会福祉事業団メールアドレス↓
tswa-swc@beach.ocn.ne.jp
「更生施設けやき荘で受けた酷い扱い」に関してのブログ↓
https://hjglaz224444.livedoor.blog/
西落合更生施設けやき荘の電話番号03-3953-8551
社会福祉法人 特別区社会福祉事業団電話番号03-6666-1046
エプロンの非公開部分に並ぶ第2航空隊のP−3Cです。今年は体験搭乗会が一週間前に行われたので、公開日にはP−3Cのフライトは少ししかありませんでした。
C−130Rが八戸初公開です。
空自と違い、中見られないのでどういう仕様なのか。例のアレを載せるのかな?
それと、配備されて間もないのに塗装の落ちがすごいです。
P-3C綱引き大会の勧誘をおこなうピクルスくんです。この後、パセリちゃんも加わってチビッコたちを誘っておりました。右後方が綱引き用の機体で、左後方は体験搭乗用の機体です。
展示公開された第3航空団のF-2Aですが、乗ってきたのは第8飛行隊のパイロットで待機していたクルーも同隊でした。三沢航空祭では第3飛行隊の所属と思いましたが。
今年の一般公開は快晴でした。八戸基地でのP-1の初公開がおこなわれました。三沢のF-2はお昼頃に飛来し、あの60周年記念塗装機でした。
体験飛行に向かうP−3Cです。グランドクルーが制服というは珍しいかな?。
とにかく、展示飛行後はこの体験飛行がひっきりなしに飛び交うので以外と飽きないです。
八戸基地祭に行って来ました。
当日は良い天気に恵まれました。
帰投飛行の始まる頃は雲が多くなってきましたが、良い一日でした。
八戸基地ならではの雰囲気です。
隊員と地元の人たちの暖かい気持ちが伝わってきます。
航空祭に関わった方々に感謝です、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
帰投時間ごろから雨が降り出し、16の離陸を雨を避けてハンガー内から撮りました。F−2搭乗機のA2尉の上がりを撮りたかったのですが、雨のため上がりませんでした。
あの雨は別れを惜しむ彼女の涙雨だったのかもね(笑)
ふくしまのくまさん
ご無沙汰しています。( ̄▽ ̄;)。
> 三沢の予行から宿泊地に向かう途中
> 雨の中帰投するYS-11を見ましたよ。
これですね。
YS-11とF-16が帰投した後、しばらく天候不良で飛行中止になりました。
北狸さん
私は午前のみ八戸展開しました。
本当にニアミスでしたね。
三沢の予行から宿泊地に向かう途中
雨の中帰投するYS-11を見ましたよ。
初めて八戸航空祭に行ってきました。
P3のオンパレードを楽しませてもらいました、のんびりとした雰囲気が気に入りました。一昔前の航空祭のようで好きです。
と思ったら、次の日の三沢での619には
”祝 三沢基地航空祭” の文字が・・・。
八戸用と三沢用で2機仕立てていたんですね。
意外でした。
八戸板、あったんですね。
気付きませんでした。
写真は2007年の621。
見にくいですが、”祝 八戸基地航空祭”の文字が。
今年は八戸は行かずに、三沢のバーズ予行を狙う予定です(^^)v
(浜松で飛んだ後なので、予行をやるかは非常〜に微妙ですが・・・)